私たちの想い CONCEPT
あのとき、
カメラマンとして生きると決めた
家業を継ぎカメラマンになろうと決意したのは、東日本大震災の時でした。
自分や地元を取り巻く環境が一変し、当たり前だと思っていた日常や何気ない生活の尊さを痛感しました。同時に、写真や映像は、かけがえのない日常を形に残す重要な役割を持つこと、時には残された人々の心の支えになることを知りました。
ここで生きる人々のかけがえのない瞬間を残していきたい。この思いは、これまでも、これからも変わりません。
私が撮った写真が、いつか誰かの支えになれたら、大切なあの瞬間を思い出す助けになれたら、と願っています。
カメラマンとしての想い
代々、スタジオ撮影の傍ら、スクールフォトカメラマンとして地域の保育園や小・中学校でたくさんの子どもたちを撮影してきました。
保育園入園から中学校卒業まで10年以上撮り続けるお子さんもいて、卒業式を撮りながら感慨深くなることもあります。
入学式の時の緊張した面持ちや、運動会の一生懸命な表情、遠足や修学旅行で見せるはしゃいだ笑顔、卒業式の凛とした姿など、子どもたちは学校生活の中で様々な表情を見せます。その姿を鮮明に記録することが、カメラマンの責任であると思っています。
私達が撮影した写真が、一家団欒のきっかけになったら嬉しく思います。
保育園や学校での撮影をきっかけに、家族写真や記念日に写真を撮りにご来店いただくお客様も多くいます。
これからも、撮影を通じて生まれる様々な人との繋がりを大切に、地域とともに生きる店でありたいです。
写真工房 金子の歴史
2027年で創業から100年。いつの時代もお客様と向き合い、ファインダーを通して人生を見守ってきました。
代表の曽祖父、金子亀五郎が川崎にて「金子写真館」創業
創業前、創業者の金子亀五郎は国内外の風景を題材とした画家として活動していた。また、当時最先端の映像技術であった写真撮影や映画製作会社の共同経営を行うなど、作品作りに取り組んでいた。関東大震災後の1927年頃、神奈川県川崎市にて「金子写真館」を開業する。
戦争疎開先の南相馬市(旧鹿島町)に移転
戦争により、川崎市の写真館が強制立ち退きの対象となる。亀五郎が趣味だった狩猟や釣りの好適地として福島県をいたく気に入り、疎開地を鹿島町(現在の南相馬市鹿島区)に決め、移住した。
移住当初は街中の三軒長屋の一部屋で写真館を細々と開業したが、その後スタジオを建設して店舗を構え、本格的な営業を開始した。
その後、二代目の金子純洋、三代目の金子洋一と写真館を承継した。
三代目の金子洋一が独立し、原町区に「写真工房・金子」設立
三代目の金子洋一は27歳の時に鹿島町へ戻り、原ノ町駅前に新規開業したホテルの写真室長に就任。その他学校写真の撮影、卒業アルバム制作なども担当する。その後実家より独立して「写真工房・金子」を設立。南相馬市原町区にスタジオを新設し、各種写真撮影、卒業アルバム制作、映像分野等の事業を展開する。
四代目金子洋介(現代表)に事業承継
四代目の金子洋介は大学卒業後、東京・仙台でWeb関連企業に勤務後、2019年に南相馬市へ帰郷。三代目の元でスタジオの改装や事業の引き継ぎを行い、技術指導を受け2021年に事業を承継した。